皆さんのマインドフルネスに対する定義付けは、”今”この瞬間にあるがまま起きている純粋な経験に気づきを保っている状態のこと、または、その瞑想手法なのではないでしょうか。
私はというと、かなり前から伝統仏教の洞察瞑想に興味を持っていて、テーラワーダ仏教の書籍やティックナットハン師や禅関係の書籍を読んで我流で実践していました。
でも、正直、仕事やら生活やら、なんやかんやで探求なんてしてられない状況に陥って遠ざかっていましたけれど、3年前(2021年)から、多少真剣にまた探求し始めたのでした。
巷で流行っているマインドフルネスはどちらかというと、現生利益的な集中力とか心理的な安定を手に入れたいとかが主な目的なのかな。
私はというと、まあ、ミーハーな性格なのでただ流行っているという、大勢が実践しているなら効果あるんじゃね?というかなり短絡的な理由で、マインドフルネスに関する書籍やらyoutubeで情報をインプットしたりして、実践してきました。
それと並行して哲学書や仏教書を読みながら自分なりのマインドフルネス瞑想を模索し続けて、まあ、多少効果あるのかなぁ...位の体感とそれなりの実践方法を確立し、確立というほど大層な感じではありませんが、それでも個人的には効果はあるんでは?と思えるような安定した精神状態を保てるようにはなっています。
このブログの説明にもありますが、私の頭の整理を兼ねて、ってか、それが主目的ってのが本音ですが、それでも誰かしかのお役には立てるんではないかと思いまして、このブログを立ち上げました。
あ、最初に断っておきますが私が実践しているマインドフルネスはどちらかというとマインドフルネス的な何かなのかもしれませんし、似非なるものかもしれません。
正統な気付きの実践をしている方から激しい突込みがあるような気もしますw
まあ、それでもいいやって人は読んでみてください。
でもね、私は思うんです。
格式とか正統とか正しいとか正しくないとか、そんなことよりお手軽に実践できて長続きできる手法が私みたいな低俗で三日坊主な人には適しいるんではないかと。
さて、まずは気づきについての定義ですが、「あるがままに起きている今この瞬間」に気が付いていることが、大まかな指針だと定義付けしていいと思います。
でも、これだけじゃぁ、全然足りません。なので、以下に箇条書きにします。
- あるがままは(概念を付さない純粋体験)そのまんま
- 今、は今の念(今の心)過去でも未来でもない今
- 瞬間は言葉で表すと瞬間だけれど、流れている現象と共に居ることに気づいていること
- 流れている現象(無常)は区別も対比もない一元の現象で「私」も区別なくその流れの中にいる
- 流れている現象はコントロール不可能。だって、「私」なんて幻想で全体(全て)だから
- 今の体の感覚は今、全体(宇宙)が起こしている今
- 身体の感覚にできるだけ集中すること→なるべく言語化しない
- 自動思考(イワユル、ぐるぐる思考)にできるだけ気が付くようにする
- 自動思考に捉われてしまっても、気づくだけでOK→気にしない
- 自動思考に捉われていることに気が付いたら、体の感覚に戻す←これ、基本
- 10が基本なんですが、最初はその自動思考を洞察して中性化します
- 気づいているのは「私」ではなくて、全体(純粋意識)です