私たちが認識している世界は、私たちの心(意識)が転変(現象が移り変わる)しながら生み出されている。
唯識という仏教思想は、この宇宙のすべての現象は心が生み出したものである。
と、説きます。
この宇宙の現象を生み出す元となっているのは初能変の阿頼耶識、第二能変の末那識、第三能変の前六識で、この三つの識(認識)がこの世界を現象させています。
この三つの能変は後に詳しく説明したいと思います。
【備考】
所変―変化し作り出された現象
能変―宇宙という現象を生み出し変化させているもの
私たちが認識している世界は、私たちの心(意識)が転変(現象が移り変わる)しながら生み出されている。
唯識という仏教思想は、この宇宙のすべての現象は心が生み出したものである。
と、説きます。
この宇宙の現象を生み出す元となっているのは初能変の阿頼耶識、第二能変の末那識、第三能変の前六識で、この三つの識(認識)がこの世界を現象させています。
この三つの能変は後に詳しく説明したいと思います。
【備考】
所変―変化し作り出された現象
能変―宇宙という現象を生み出し変化させているもの
この世界(私と私を取り巻く環境【宇宙】)の現象は、因(原因)と縁(環境、条件、要因...)の和合によって結果、諸々の現象が生じています。
例えるなら花の種が因で、縁は自然の環境。
環境は土壌とかお天気とか、バクテリアとか受粉を助けるミツバチとか。
それらが和合して結果、花が咲きますよね?
花という結果はそれのみ単独で生じるのではなくって、縁(条件)によって生じるのであって、結果である花が自力で咲くなんてありえませんよね?
これを仏教では因縁果(いんねんか・いんえんか)と呼びます。
人も男女の和合により「私」が生まれ、男女の別、容姿、性格、人生等は縁(条件)に影響され、自己の思いのままにならない存在として生きています。
「私」とは因と縁の関係性の網によって仮に存在しているカリソメ(仮有)の存在なのです。
あの人と私。 あの人も私も特定できない。 行為と私とあの人の関係性とは何か? 個別性がないのなら、私があの人に何かされたという表現は言葉にはできるけれど、真実には透明な現象があるだけで、本来個別化できない一体の現象を思考によって個別化している。 行為は世界の関係性という繋がりが...