2024年6月2日日曜日

仮有(けう) かりそめの存在

 この世界(私と私を取り巻く環境【宇宙】)の現象は、因(原因)と縁(環境、条件、要因...)の和合によって結果、諸々の現象が生じています。

例えるなら花の種が因で、縁は自然の環境。

環境は土壌とかお天気とか、バクテリアとか受粉を助けるミツバチとか。

それらが和合して結果、花が咲きますよね?

花という結果はそれのみ単独で生じるのではなくって、縁(条件)によって生じるのであって、結果である花が自力で咲くなんてありえませんよね?

これを仏教では因縁果(いんねんか・いんえんか)と呼びます。

人も男女の和合により「私」が生まれ、男女の別、容姿、性格、人生等は縁(条件)に影響され、自己の思いのままにならない存在として生きています。

「私」とは因と縁の関係性の網によって仮に存在しているカリソメ(仮有)の存在なのです。


 ← ポチッとな




0 件のコメント:

コメントを投稿

気づきー覚書#1

 意識と思考、思考の内容については意識とは別物。 五感を通した認識、言語化する前の純粋な認識は意識が統合して感受している。 そのあと思考を使って言語化したら概念となる。 意識的にいることは、気づいていること、つまりマインドフルネス。 身体の感覚にできるだけ集中して、気が付いている...